{"product_id":"book-9784305710741","title":"物部氏とニギハヤヒ \/ Mononobeshi To Nigihayahi","description":"\u003cp\u003e\u003cstrong\u003e著者:\u003c\/strong\u003e 関裕二／著 (Kan Yuuji \/ Cho)\u003c\/p\u003e\u003cp\u003e\u003cstrong\u003e出版社:\u003c\/strong\u003e 笠間書院 (Kasama Shoin)\u003c\/p\u003e\u003cp\u003e\u003cstrong\u003eISBN-13:\u003c\/strong\u003e 9784305710741 \u003cstrong\u003eISBN-10:\u003c\/strong\u003e 4305710749\u003c\/p\u003e\u003cp\u003e発売日: 20260405\u003c\/p\u003e\u003cp\u003e延暦二十三年（八〇四）八月、桓武天皇は平安京遷都にともない、石上神宮（奈良県天理市）の大量の兵仗（武器、儀仗）を、山城国葛野郡（京都市の一部）に移そうと目論んだ。動員された人数は、のべ十五万七千余人にのぼった。ところが、数々の異変が起き、桓武天皇も体調を壊したため、祟りを恐れ、兵仗をことごとく元に戻したという（『日本後紀』）。\n　石上神宮は古代最大の豪族・物部氏と関わりの深い神社だ。ヤマト建国時から活躍した物部氏だったが、藤原氏の台頭によって没落した。しかし、その権威と神通力は、なかなか消えなかったようだ。その象徴が、石上神宮である。\n　桓武天皇が、自身の不予に「これは祟り」と信じたのは、後ろめたい気持ちがあったからだろう。桓武天皇は政敵だらけのヤマト（大和国）を捨てたのだが、石上神宮から兵仗を略奪することが、罪深いこととわかっていたのだろう。ただの兵器や武器ではない。ヤマトの神宝でもあるからだ。\n　さらに、物部氏がヤマト王権の神祇祭祀に深くかかわっていたこと、古代を代表する霊威を供えていたことも知っていたにちがいない。\n　本文で触れるように、物部氏は前方後円墳の原型を築き上げ、古墳時代をリードした代表的豪族だ。ヤマトの祭祀様式の成立にも大いに寄与し、神祇祭祀の中心に立っていたと言っても過言ではない。\n　物部氏は神に近い一族でもあった。物部氏の「物」は、モノノケ（物の怪）の「物」であり、「物」は古くは「鬼」を意味した。物部氏はヤマトを代表する鬼の一族でもある。\n　物部氏の祖はニギハヤヒ（饒速日命）で、ヤマト黎明期の王でもあった。神武天皇に王権を禅譲したあとも、神祇祭祀の中心に立ち、実権を手放すことはなかったのだ。ニギハヤヒの末裔の物部氏は古墳時代を通じて日本各地に進出し、大地主に成長していった。『新撰姓氏録』には、京・畿内の諸氏の系譜一一八二氏を掲げているが、その約十分の一が物部（石上）氏の同系氏族だ。\n　このように、物部氏は長い間ヤマトの中心勢力の地位を保ち続けたのだった。\n　七世紀末から八世紀にかけて独裁志向の藤原氏が台頭し、多くの古代豪族が没落していく中、石上（物部）麻呂は左大臣に登りつめ、最後の物部系大物宰相として光り輝いた。ところが、平城京遷都（七一〇）に際し、右大臣（左大臣に次ぐ地位）藤原不比等の陰謀にはまって、旧都新益京（藤原宮）の留守居役に指名され、捨てられた。\n　完成したばかりの律令制度（明文法と土地制度）を悪用してのし上がった藤原氏は、桓武天皇を担ぎ上げ、都を山背（山城。長岡京と平安京）に遷した。律令土地制度の欠陥を放置した藤原氏は、各地の土地を我が物にして、日本の土地と民を私物化した。優雅なイメージの強い平安時代とは、藤原氏だけが栄えるいびつな社会であり、人びとは古き良きヤマトの時代を懐かしんだ。その「輝かしい時代の最後の為政者」が石上（物部）麻呂であり、ヤマトの象徴的な宝器が、石上神宮の兵仗でもあった。\n　桓武天皇や平安京の藤原氏が、石上神宮の神宝の祟りに震え上がった理由がここにある。物部氏の衰退こそ、ヤマトの終焉であり、「いじめ抜いた政敵やヤマトの民の恨み」が、神宝に宿っていると信じたのだろう。\n　物部氏の滅亡と同時に、日本人にとって大切な時代が終わってしまったのだ。物部氏はヤマトそのものである。その正体と歴史を明らかにしてみたい。\n\n《目次》\n第一章　ニギハヤヒとナガスネビコ\n・神武東征は歴史じゃない？\n・ヤマト建国の考古学と重なるニギハヤヒとナガスネビコ\n・前方後方墳と前方後円墳の対峙と共存状態がヤマト建国？\n・奈良盆地の勢力圏は日本地図の縮図？\n・瀬戸内海の覇者はニギハヤヒ\n・東海地方の侮れない実力\n・ナガスネビコは東海の王\n・二大勢力の合体がヤマトの原型を形づくった？\n・実在のヤマトの初代王は第十代崇神天皇\n・イリヒコの王家とタラシヒコの王家は別の王朝？\n\n第二章　イリヒコの王家とタラシヒコの王家\n・纏向にしがみついたイリヒコの王家\n・第十二代景行天皇はなぜか近江に宮を遷した\n・ヤマト建国の真相\n・東の実力を侮ってはいけない\n・実在の初代王・崇神天皇はニギハヤヒで垂仁天皇はウマシマデ\n・第十二代景行天皇のスネは長かった\n・奈良盆地の特殊性\n・ヤマトを二分した瀬戸内海航路と日本海航路それぞれの思惑\n・はっきりと分かれたヤマトの勝ち組みと負け組\n・祟る出雲神と脅える崇神天皇\n・神武東征の真相\n\n第三章　ウマシマデと垂仁天皇\n・なぜ物部系の『先代旧事本紀』は尾張氏を同族と主張したのか\n・ニギハヤヒではなくウマシマデがナガスネビコを殺した？\n・ウマシマデの母は箸墓に眠る倭迹迹日百襲姫命？\n・倭迹迹日百襲姫命は人柱？人身御供？\n・「倭［ヤマト］」は東海系の名\n・ヤマトタケル［倭建命］の悲劇は東海勢力の歴史\n・ヤマトの王家は三つの地域の人々が形成した？\n・鍵を握るウマシマデはなぜ石見に逼塞した？\n・垂仁天皇の業績を見つめ直す\n・伯父殺しの十字架を背負ったウマシマデ\n\n第四章　垂仁天皇とタニハ（但馬、丹波、丹後、若狭）\n・纏向の初代王は第十一代垂仁天皇\n・謀反事件は正妃がからんでいた\n・正妃の謎めく遺言\n・なぜ垂仁天皇の妃はタニハ系で埋められたのか\n・タニハ（但馬、丹波、丹後、若狭）はヤマト建国のフィクサー？\n・日本海の敗北とタニハの立ち位置\n・垂仁天皇の難しい選択\n・瀬戸内海政権（物部政権）は実利を選んだ？\n・誰が歴史の勝者か\n・奈良時代の幕引きとともに起きていた古き良き時代の終焉\n・恐るべき石上神宮のパワー\u003c\/p\u003e","brand":"笠間書院","offers":[{"title":"Default Title","offer_id":55135299993879,"sku":"9784305710741","price":7645.0,"currency_code":"JPY","in_stock":false}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/1027\/0910\/0823\/files\/9784305710741.jpg?v=1790142188","url":"https:\/\/ninjapanbooks.com\/products\/book-9784305710741","provider":"NINJAPAN BOOKSTORE","version":"1.0","type":"link"}