{"product_id":"book-9784781414928","title":"Nagata Kou Koromo No Hyaku Ku – หนังสือญี่ปุ่น | 永田耕衣の百句","description":"\u003cp data-nj-intro=\"1\"\u003eNagata Kou Koromo No Hyaku Ku โดย Jinpei Kachi สำนักพิมพ์ Furansu Dou (2022) ฉบับภาษาญี่ปุ่นต้นฉบับ หนังสือญี่ปุ่น เนื้อหาเป็นภาษาญี่ปุ่น ส่งจากญี่ปุ่นทั่วโลก\u003c\/p\u003e\u003cp\u003e\u003cstrong\u003e著者:\u003c\/strong\u003e 仁平勝／著 (Jinpei Kachi \/ Cho)\u003c\/p\u003e\u003cp\u003e\u003cstrong\u003e出版社:\u003c\/strong\u003e ふらんす堂 (Furansu Dou)\u003c\/p\u003e\u003cp\u003e\u003cstrong\u003eISBN-13:\u003c\/strong\u003e 9784781414928 \u003cstrong\u003eISBN-10:\u003c\/strong\u003e 4781414923\u003c\/p\u003e\u003cp\u003e発売日: 20220718\u003c\/p\u003e\u003cp\u003e◆卑俗性を対象化する\n日のさして今おろかなる寝釈迦かな\n（『加古＊傲霜』）\n全句集に従って『加古』と『傲霜』を併せて扱う。昭和五年から十三年までの句を収録。耕衣は三十代で、原石鼎の「鹿火屋」や小野蕪子の「鶏頭陣」に投句していた。\n　掲句は『加古＊傲霜』の一句目。「日のさして」とは、ふだん未公開の涅槃図が、涅槃会で公開されたのだろう。明るい場所に出されると、有難味が薄れる。小さな弟子たちに囲まれて、ひときわデカい釈迦が横たわっている図が、いかにも「おろか」に見えたのである。上五の単純な写生から入って、「今」でギアを上げた。この時点ですでに、「ホトトギス」ふうの俳句とは感覚が違う。\n\n\n◆シリーズ最新刊\n耕衣の俳句が難解といわれたのは別の理由もある。いま独自な俳句論と書いたが、そもそもその理論が難しいのである。もっともそういう理論は、耕衣の俳句を読むためには必要ない。たとえば耕衣は禅に傾倒し、その思想についてしばしば語ってきたが、耕衣の愛読者は、俳句から禅の思想を享受しているわけではない。耕衣の句が読む者を魅了するのは、五七五の言葉がときにその意図を超えて飛躍するからだ。そこには、定型の力学を感知する先天的な言語感覚があるのだが、それは理屈で論じることができない。\nただしここでは、永田耕衣という作家を理解するために、そうした独自な俳句論（あるいは俳句観）とも付き合ってみたい。となれば私たちも、「俳句的」なパラダイムを離れないといけない。\n（解説より）\u003c\/p\u003e","brand":"ふらんす堂","offers":[{"title":"Default Title","offer_id":55178782146839,"sku":"9784781414928","price":3556.0,"currency_code":"JPY","in_stock":false}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/1027\/0910\/0823\/files\/9784781414928.jpg?v=1792313417","url":"https:\/\/ninjapanbooks.com\/th\/products\/book-9784781414928","provider":"NINJAPAN BOOKSTORE","version":"1.0","type":"link"}